広大の杜に囲まれ、
癒し 見守る 和らぎの杜
式内 針名神社 創建は1,100年以上前
古い記録によると
『
「從三位針名天神」
『
「針名神社」
『
「平針天神祠在二平針村一。謹按、神名式所謂針名神祠是也。今村氏子奉レ之未レ知祀二何神一。 本國帳録二従三位天神ト一。神祇宝典曰、針名根連。延喜式神明帳に、尾張國愛知郡針名神社とあり。」
『
「庄屋書上ニ、針名天神祠境内八反外ニ五畝十歩屋敷御除地、八幡祠境内一町二反御除地外ニ田畠三畝十歩村除、山神祠境内一畝御除地、此三祠共ニ慶長十七年ノ勧請也、祠官ハ村瀬大和守 府志曰、平針天神祠在平針村、謹按神名式所謂針名神祠是也、今村民奉之、未知祀何神、本国帳録従三位天神、神祇宝典曰、針名神祠尾治針名連、度会延佳云、針名祠祭神尾治針名根連 八幡祠在同村」
『
「平針村にまして今は天神社と申す神名式に愛智郡針名神社本国帳に同郡従三位針名天神とある是なり祭神は尾治ノ針名ノ連と神祇宝典に書き給へるがことし(中略)」
『
「鳴海庄平針村に在す、今天神と称す。」
神社名の前に「式内」と冠する神社は、全国に2861社あるとされております。式内と冠する神社は式内社と呼ばれ「
当社の創建は定かではないのですが、「延喜式神名帳」に”
元々は現在地より約800メートル北、天白川左岸(今の地下鉄平針駅の北側あたり)の元郷(旧字名)に祀られておりましたが、徳川家康の命により名古屋城から岡崎城への岡崎街道(姫街道)整備で平針宿が成立した頃、慶長17年(1612年)に現在の社地に遷し祀られたとされております。現存するものでは、貞享3年(1686年 江戸時代初期)の石灯篭が最も古く、次に元禄12年巳卯年9月(1699年 江戸時代中期)と書かれた棟札や、天保10年(1839年 江戸時代後期)の手水鉢があります。
明治5年村社に列格。明治40年神饌幣帛料供進神社に指定。
明治42年無格社八幡社を合祀。昭和16年大石鳥居建設。昭和21年11級社となる。昭和27年宗教法人針名神社となる。昭和51年現本殿、旧社務所、手水舎、神門等竣功。昭和61年6級社に昇格。平成23年現参集殿竣功。平成27年参道整備竣功。平成30年本殿御屋根替竣功。令和2年手水舎改修竣功。
御祭神
- 主祭神
尾治針名根連命 - 相殿神
-
大巳貴命 (大國主命 )少彦名神 応神天皇 (品陀和気命 )
主祭神 尾治針名根連命と相殿神(配神)について
主祭神の尾治針名根連命は「
主祭神の曽祖父にあたる
相殿神として、
古い記録によると
『
「左京神別下、
『
「饒速日命十四代孫、尻綱根命の子」「十四世孫
『愛知郡誌』大正12年(1923年)
「祭神 檜前舎人連祖歟、舊事本記田島系譜には祀二尻調根命子一、尾治針名根連。」
〔※1〕
『古事記』
天照大神 あまてらすおおかみ 天忍穂耳命 あめのおしほみみのみこと -
-
天火明命 あめのほあかりのみこと (兄)尾張連 おわりむらじ
-
邇邇芸命 ににぎのみこと 神武 じんむ 天皇
-
『日本書紀』
瓊瓊杵尊 ににぎのみこと -
-
彦火火出見尊 ひこほほでみのみこと 神武 じんむ 天皇
-
火明命 ほあかりのみこと (子)尾張連 おわりむらじ
-
天火明命は尾張氏の祖神とされ、「火明」の文字からわかるように太陽光や熱の神格化で太陽神、農業神として信仰されております。『古事記』では
〔※2〕
尾張氏とは天火明命を祖神として、氏を「
尾張氏の一派はのちに熱田神宮大宮司を代々務める系譜に続きます。
〔※3,4〕
『
「尾張国造、志賀穴穂朝(成務天王)、以天火明命十一世孫小止与命、定賜国造」
「先代旧事本記」によると主祭神 尾治針名根連命の曽祖父にあたる乎止与命は初代尾張国造として任命され、祖父にあたる建稲種命は、
針名神社への交通案内
名古屋市天白区天白町大字平針字大根ケ越175当社にご来社いただく際に、カーナビによる指示ルートの不備で通行できない道を案内してしまうことが、まれにございますので下記案内(赤矢印)による推奨ルートをご参考にご来社ください。
御祈祷や出張祭典等のご質問については、お気軽にお尋ね下さい。
- 受付時間(通常)
- 社務所 午前9時~午後4時 ※電話の対応、お札、お守りの授与受付 (ご祈祷 午前10時~午後3時半)
諸事情により変更することもございますので、お知らせをご覧ください。
※急なご来社の際は対応できかねる場合もございますのでお電話にてご確認ください。
お問い合わせ番号TEL 052-803-6174