針名神社

針名神社の歴史History of Harina Shrine

広大の杜に囲まれ、
癒し 見守る 和らぎの杜

式内しきない 針名神社はりなじんじゃ 創建は1,100年以上前

古い記録によると

国内神名帳こくないじんみょうちょう』(平安末期)

「從三位針名天神」

延喜式えんぎしき 神名帳じんみょうちょう』延長5年(927年)[平安時代中期]

「針名神社」

張州府志ちょうしゅうふし』宝暦2年(1752年)2月依尾張藩侯之命松平秀雲所撰

平針天神祠在二平針村一。謹按、神名式所謂針名神祠是也。今村氏子奉レ之未レ知祀二何神一。 本國帳録二従三位天神ト一。神祇宝典曰、針名根連。延喜式神明帳に、尾張國愛知郡針名神社とあり。」

尾張徇行記おわりじゅんこうき』文政5年(1822年)

「庄屋書上ニ、針名天神祠境内八反外ニ五畝十歩屋敷御除地、八幡祠境内一町二反御除地外ニ田畠三畝十歩村除、山神祠境内一畝御除地、此三祠共ニ慶長十七年ノ勧請也、祠官ハ村瀬大和守 府志曰、平針天神祠在平針村、謹按神名式所謂針名神祠是也、今村民奉之、未知祀何神、本国帳録従三位天神、神祇宝典曰、針名神祠尾治針名連、度会延佳云、針名祠祭神尾治針名根連 八幡祠在同村」

尾張志おわりし』弘化元年(1844年)

「平針村にまして今は天神社と申す神名式に愛智郡針名神社本国帳に同郡従三位針名天神とある是なり祭神は尾治ノ針名ノ連と神祇宝典に書き給へるがことし(中略)」

神社覈録じんじゃかくろく 上編 集説・府志』明治35年(1902年)

「鳴海庄平針村に在す、今天神と称す。」

神社名の前に「式内」と冠する神社は、全国に2861社あるとされております。式内と冠する神社は式内社と呼ばれ「延喜式神名帳えんぎしきじんみょうちょう」に記載のある神社を指します。「延喜式えんぎしき」とは、延喜5年(905年)に醍醐天皇の命により編纂が開始され、延長5年(927年) に完成した「養老律令ようろうりつりょう」の施行細則を集大成した全五十巻に及ぶ古代法典であって、この「延喜式」の第九巻・第十巻に記載されている神社のことを式内社と呼びます。針名神社はその巻第九の愛知郡十七座のうちの一座に数えられております。
当社の創建は定かではないのですが、「延喜式神名帳」に”従三位針名天神じゅうさんいはりなてんじん”の記載があることから、少なくとも約千百年以上前から存在することが推察できます。因みに従三位というのは、朝廷からそれぞれの神様に対して授位・進階された位の事で、神位とも称されます。針名天神と称されたのは、学問の神様で有名な菅原道真公を祀る天神信仰の「天神」ではなく針名の「大神様」との解した方がふさわしいと考えられます。

古地図

天保12年(1841年) 平針村図

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元々は現在地より約800メートル北、天白川左岸(今の地下鉄平針駅の北側あたり)の元郷(旧字名)に祀られておりましたが、徳川家康の命により名古屋城から岡崎城への岡崎街道(姫街道)整備で平針宿が成立した頃、慶長17年(1612年)に現在の社地に遷し祀られたとされております。現存するものでは、貞享3年(1686年 江戸時代初期)の石灯篭が最も古く、次に元禄12年巳卯年9月(1699年 江戸時代中期)と書かれた棟札や、天保10年(1839年 江戸時代後期)の手水鉢があります。

貞享3年(1686年)
江戸時代初期の石灯篭

元禄12年巳卯年9月(1699年)
江戸時代中期の棟札

天保10年(1839年)
江戸時代後期の手水鉢

明治5年村社に列格。明治40年神饌幣帛料供進神社に指定。
明治42年無格社八幡社を合祀。昭和16年大石鳥居建設。昭和21年11級社となる。昭和27年宗教法人針名神社となる。昭和51年現本殿、旧社務所、手水舎、神門等竣功。昭和61年6級社に昇格。平成23年現参集殿竣功。平成27年参道整備竣功。平成30年本殿御屋根替竣功。令和2年手水舎改修竣功。

御祭神

本殿
手前から本殿・祝詞殿・拝殿(平成30年 御屋根替竣功)
主祭神
尾治針名根連命おはりはりなねのむらじのみこと
相殿神
  • 大巳貴命おおなむちのみこと大國主命おおくにぬしのみこと
  • 少彦名神すくなひこなのかみ
  • 応神天皇おうじんてんのう品陀和気命ほんだわけのみこと

主祭神 尾治針名根連命と相殿神(配神)について

主祭神の尾治針名根連命は「新撰姓氏録しんせんしょうじろく」や「先代旧事本記せんだいくじほんぎ」に天照大御神あまてらすおおみかみの御孫にあたる天火明命あめのほあかりのみこと 〔※1〕(尾張氏おわりうじの始祖)の14世孫であり、尻綱根命しりつなねのみことの子との記載があります。兄弟には尾治弟彦連おわりおとひとのむらじ意乎巳連おおみのむらじがおり、仁徳朝に大臣としてお仕えしたとの記録があります。犬山市の針綱神社はりつなじんじゃでは父の尾綱根命おづなねのみことや祖父の建稲種命たけいなだねのみこと等とともに祀られておりまして、古代豪族尾張氏の氏神と考えられております。
尾張氏おわりうじ〔※2〕とは太古にこの地を治めた氏族であります。
主祭神の曽祖父にあたる乎止与命おとよのみこと 〔※3〕は初代尾張国造おわりのくにのみやつことなり、祖父にあたる建稲種命は日本武尊やまとたけるのみことの東征の際、副将軍として軍功を挙げたとされております。叔祖母おおおばにあたる宮簀媛命みやずひめのみこと〔※4〕は熱田神宮の御祭神である日本武尊の妃となり、日本武尊の薨去後、宮簀媛命が草薙剣くさなぎのつるぎを奉斎したのが熱田神宮起源とされております。
相殿神として、大巳貴命おおなむちのみこと又の名を大國主命おおくにぬしのみことまた、記紀神話の国造りの際に全国を回って国土開拓を協力した神とされる少彦名神すくなひこなのかみを祀っており、明治四十二年に八幡神(品陀和気命ほんだわけのみこと応神天皇おうじんてんのう〕)を合祀しております。

尾張氏系図

古い記録によると

新撰姓氏録しんせんしょうじろく』弘仁5年(814年)

「左京神別下、檜前舎人連ひのくまとねりむらじの條に 「火明命十四世孫、波利那乃連公後也。」

先代舊事本記せんだいくじほんぎ 巻五 天孫本紀』(9世紀頃)

「饒速日命十四代孫、尻綱根命の子」「十四世孫尾治弟彦連おわりおとひこのむらじ。次尾治針名根連おわりはりなねのむらじ。次意乎巳連おおみのむらじ此連。大朱雀朝御世為大臣供奉」

『愛知郡誌』大正12年(1923年)

「祭神 檜前舎人連祖歟、舊事本記田島系譜には祀二尻調根命子一、尾治針名根連。」

〔※1〕天火明命あめのほあかりのみこと

『古事記』

  1. 天照大神あまてらすおおかみ
  2. 天忍穂耳命あめのおしほみみのみこと
      1. 天火明命あめのほあかりのみこと(兄)
      2. 尾張連おわりむらじ
      1. 邇邇芸命ににぎのみこと
      2. 神武じんむ天皇

『日本書紀』

  1. 瓊瓊杵尊ににぎのみこと
      1. 彦火火出見尊ひこほほでみのみこと
      2. 神武じんむ天皇
      1. 火明命ほあかりのみこと(子)
      2. 尾張連おわりむらじ

天火明命は尾張氏の祖神とされ、「火明」の文字からわかるように太陽光や熱の神格化で太陽神、農業神として信仰されております。『古事記』では邇邇芸命ににぎのみことの兄として『日本書紀』では瓊瓊杵尊ににぎのみことの子として登場します。天照大神の御孫にあたる邇邇芸命は天孫降臨で天下られました神様でその御子が初代神武じんむ天皇になります。よって天火明命の子孫は皇統に続く系譜とされ、大和王権を築いた古代勢力の天孫族とされております。市内守山区と瀬戸市にまたがる東谷山に鎮座する「尾張戸神社おわりべじんじゃ」や、尾張国一宮で一宮市に鎮座する「真清田神社」の御祭神としてお祀りされております。また、祖神として祀る氏族には、京都府宮津市の「籠神社このじんじゃ」の歴代宮司家「海部氏あまべし」や、大阪府大阪市住吉区の摂津の国一宮「住吉神社」の歴代宮司家「津守氏つもりうじ」などがあります。

〔※2〕尾張氏おわりうじ
尾張氏とは天火明命を祖神として、氏を「尾張おわり」姓を「むらじ」とする氏族のことで、太古の昔(古墳時代)にこの地(尾張丘陵)を治めた氏族であります。大和政権とかかわりが深く、孝昭天皇、崇神天皇、継体天皇や日本武尊といった皇族(王族)に妃を輩出し全国の国造家の中でも屈指の勢力を誇ったと氏族と言われております。熱田神宮の創祀の伝承によると現熱田神宮の社地は尾張氏の氏族が斎場としていた場所であったされており、同区内にあります断夫山古墳だんぷやまこふんは一族の墓と推定されております。
尾張氏の一派はのちに熱田神宮大宮司を代々務める系譜に続きます。

〔※3,4〕乎止与命おとよのみこと(初代国造)・建稲種命たけいなだねのみこと宮簀媛命みやずひめのみこと

先代舊事本記せんだいくじほんぎ 巻十 国造本紀』(9世紀頃)

「尾張国造、志賀穴穂朝(成務天王)、以天火明命十一世孫小止与命、定賜国造

「先代旧事本記」によると主祭神 尾治針名根連命の曽祖父にあたる乎止与命は初代尾張国造として任命され、祖父にあたる建稲種命は、日本武尊やまとたけるのみこと東征の際、副将軍として軍を従え、軍功を挙げたとされており、熱田神宮を始め内々神社うつつじんじゃ(春日井市)・幡頭神社はずじんじゃ(西尾市)・羽豆神社はずじんじゃ(知多郡南知多町)・成海神社なるみじんじゃ(市内緑区)・尾張戸神社おわりべじんじゃ(市内守山区・瀬戸市)・八雲神社やくもじんじゃ(北海道)などに祀られております。また、乎止与命の娘で宮簀媛命は熱田神宮の御祭神である日本武尊の妃となり、氷上姉子神社ひかみあねごじんじゃ(市内緑区大高町)に祀られております。日本武尊の薨去後、宮簀媛命が草薙剣を奉斎したのが熱田神宮の起源とされております。建稲種命、宮簀媛命はともに熱田神宮の御祭神です。

針名神社への交通案内

名古屋市天白区天白町大字平針字大根ケ越175

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